田舎の風景と稲作

田舎の風景と稲作

お米を食べなくなったとはいえ日本の農業の中心はやはり稲作ですね。どこへ行っても田んぼがいっぱいの田園風景を見ることができます。私の家も田んぼに囲まれていて稲作のやり方が手に取るように分かります。最近では稲作に限らず、麦、大豆など多角化を図っています。田植えを待つ水田の隣には、収穫時期を迎えた麦が実っています。

60年前の稲作-田植え編

苗代(なわしろ)作り

昭和30年頃の稲作はほとんど手作業が中心で、雪が解けるとまず最初に始まるのが苗代作りです。

苗代とは、苗床にイネの種(もみがらつきの米粒)を密にまいて発芽させ、田植えができる大きさまで育てる 狭い田んぼのことです。

耕した田んぼの中に1m前後のうねを何本か作り、そこに芽が出やすいようにしばらく水に浸したイネの種を蒔いていきます。その上に前年に作ったくん炭(くんたん:焦げたもみ殻)を一面に覆って、最後に油紙(雨が降っても水に負けないように油をしみこませたやわらかい厚紙)を被せて出来上がりです。

苗代を作ると次は田んぼを耕します。

田んぼの耕うん(こううん)

耕うんとはイネの植付けの準備として、田んぼの土壌を掘り返して砕きやわらかくすることです。
田んぼは収穫期から冬の間、人間や農機具に踏みつけられたり、雨に打たれ雪が積もることから、土壌の表層部が固まってきます。そのためイネの作付け前に耕うんを行いますが、目的には次の点があるそうです。(世界大百科事典より)

1.土壌表層をやわらかくして通気性、通水性などの物理性を改善し、作物の根の生育に好適な環境を準備する。

2.土壌表面に残された前作の刈り株、雑草、堆肥などを土中に埋め込み、種まき・移植作業の障がいとならないようにするとともに、地表に落下している雑草種子を埋め込んで発芽を抑制し、除草効果をあげる。

この頃の耕うんは、下記のような「すき」を、馬に引かせて行っていました。

長床犂(ちょうしょうすき):大辞泉を参考

土起こしが終わると、起こした田んぼに水を入れ土を細かく砕き水と混ぜます。「荒くり」と呼ばれていました。次が土と水をこねてやわらかくし凹凸を無くす「代かき」を行います。
数日たつと泥が沈んだ状態になり、田植えができるような泥になってきます。

田植えの準備

田んぼは田植えがやりやすいようにあらかじめ水を抜いて、泥を少し硬めにしておきます。それから25センチ角ほどに区切られた長さが5m位の6角形の枠を転がし、田んぼに十字印をつけます。

苗代での苗取り作業では、片手で持って反対の手で田植えができるように8cm程度の束を作っていきます。

田植え

いよいよ田植えですが、すべて手の作業ですから人手がかかります。枠を転がして作った十字印に苗を2~3本づつ植えていきます。ずっとしゃがんだ姿勢なので大変な作業ですね。親戚のお母さん達5~6名が協力して、それぞれの家を回って田植えをしていきます。

苗を入れた田植えかごを腰に下げ、2~3本の苗を十字部分に植えていきます。一日中かがんだ姿勢の作業なので腰にかかる負担は計り知れません。

現代の稲作-田植え編

今では昔と違い耕うんや田植えはすべて大型の機器で行います。つらい田植えは無くなりトラクターに座って作業するまでに改善されました。作業スピードも速く、あっという間に終わってしまいます。

それというのも私の村では、稲作はほとんど農業組合法人が請け負って行います。機器はすべて組合法人が所有しており、そこでの農業労働に対して賃金が支払われます。個人でやるのと違って大型の最新機器で作業ができるので大変効率が良いわけです。当然苗も1カ所に集約してハウスの中で作ります。

まとめ

手作業からトラクターに変わるまでには、耕うん機の時代も長かった気がします。耕うん機の出現で作業は大きく改善されましたが、まさかこんな狭い田んぼにトラクターが入って作業するとは考えられませんでした。

半世紀もたつとこんなにも変わるものかと思います。
考えてみれば農業に限らず、道路、車、産業機器のすべてが高度成長時代にのって大きく変わってきました。この時代に生まれたからこそ、変化を見たり感じたりできました。これから先はどうなるのか分かりませんが、きっと私の想像をこえた変化が待っているのでしょう。

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